おじいちゃんとおばあちゃんの話
私が4歳の頃?
母の実家である福岡県へ行った時の写真が1枚だけあります
なんとな~く、庭で遊んだ記憶があるけど。。。
それが最初で最後の福岡への帰省
どんな人だったのか全く覚えていないので
もちろん思い出もありません^^;
母から聞くおじいちゃんとおばあちゃんの話
おじいちゃんは背の高い人だったので
小さな母と父から産まれたデカイ兄と私は
おじいさん似やな~
と、母からよく言われてました^^
いつも家族から離れた所で
骨董品の小さなお膳にご飯を並べ
チビチビとお酒を飲みながら
ニコニコしながら子ども達の様子を見ていたとか
私の古い物好きはおじいちゃん似なのでしょうか^^
お正月になると
玄関にいつものお膳を置き
チビチビとお酒を飲み
挨拶に来る子ども達にお年玉を渡していたとか
決して裕福な家ではなかったはず
(私が言う事ではないか~^^;)
そんなおじいちゃんを
素晴らしい!
と思いました♪
おばあちゃんは背の低い人でした
戦後の厳しい生活の中でも
押入れの隅っこの一斗缶には
常時、お米が入っていたそうです
日々の食事は質素だったけど
お盆・正月には白い米を炊き
家族全員、好きなだけお代りが出来た!
と、母はよく言ってます^^
読み書きが出来なかったおばあちゃん
おじいちゃんの勤務先の所有物である土地を借り
野菜を作って商売していたとか?!
読み書き出来ないのにどうやって?
数字はなんとか書けたので
野菜の絵を書いて値札を作ったみたいです
おばあちゃんの帳簿も意味不明だったそうですが
落としても他人には分からんからええ
なるほどね~~^^
そんなパワフルなおばあちゃん!
福岡から宮崎までぎゅうぎゅう詰めの汽車に揺られ買い出しに行き
帰ってくる時はいつも沢山の物を持って帰ってきました
何を持って行ったのかというと
鍛冶屋をしていた兄に鍬や七輪を作らせて
それを持って物々交換していたそうです
定期的に行くのでお得意さんもいたみたいです^^
ある日、うどんを作る機械を入手!
小麦粉の配給の後には家に鍋がズラリと並びました
近所の人から小麦粉と鍋を預かり作って配ったそうです
そのうち、他で野菜が販売されるようになると
さっさと自分はやめて
今度は花を作って販売を始めたとか(笑)
おじいちゃんが亡くなり
その後、おばあちゃんが亡くなった葬儀の時
母は近所の人から
おばあちゃんはおじいちゃんにとてもつくしていたよ~
と聞きました
いつもニコニコしていたおじいちゃん
とってもパワフルなおばあちゃん
二人に会って、色々と話をしたかったな~~
でも、おばあちゃんの素質は
母のアサエさんもしっかり受け継いでますね^^
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